思い出の酒ラべルを探しています。
母の思い出の、幻の酒ラベルを探しています。
どなたか、思い当たるお酒ラベル、ご存じないでしょうか?
こんな事情で探しています。
太平洋戦争渦中に大都会に生まれ、昭和・平成・令和と生き抜いてきた母。
高齢ですこし記憶が怪しくなってきた昨今でも 何度も語る思い出の酒ラベルがあります。
母が3.4歳の頃、大空襲をのがれ不安の中で疎開した山形の庄内地方の清酒蔵元の親類宅。
戦禍にも拘わらず、やさしく温かく受け入れてくれ安心して楽しい日々をすごしたこと。
お花の絵がかかれた綺麗な綺麗なお酒のラベルを頂いたこと。
暖かい思い出も重なりその素敵なラベルを宝物のように大切にしていたのに兄弟のミスで無くなってしまったこと。
遠い目をしながら惜しそうに語る母に、その戦前に作成されたとおもわれるもう幻のようなお酒ラベル。
せめてどこかに写真などで画像だけでもあれば見せてあげたいと、わずかなヒントを頼りにずっと探し続けています。
幼児時代の記憶の上、記憶も混乱してきた母、わずかなヒントも揺らぎが多いです。
ただ、見たら必ずわかるとのこと。
どうかどうか母がそのラベルを認識できるうちに見つかりますように。
母の記憶にあるお酒ラベルのヒントはこんな感じです。
どなたかこのような思いあたる方はおられないでしょうか?
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探しているもの
お酒の一升瓶用と思われる酒ラベル
デザイン
恐らくすこし横長 一升瓶の下部にはるような大きさ
真ん中に薄いピンクの花の絵が描かれていた。
頂いた時期
昭和21年ごろ 未使用のものを10枚程度頂いた。
ラベルの作られた時期
明治後期~昭和5ごろまで(本命)
昭和3年~昭和20年まで(少し可能性あり)
由来
山形の鶴岡の大山で清酒蔵元だった(昭和2年廃業)とおいう親族のお酒のラベルを貰った
(とおもう。ただ勝手に親族のラベルと思っていただけかもしれない。)
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下記は記憶ではなく謄本や史書などで調べた情報ですす。
蔵元場所の候補(疎開先)
山形県鶴岡大山町(本命)
山形県酒田市(別宅があった模様)
ラベルの作られた時期
明治中期~昭和2年 または昭和20年ごろまで
※一升瓶使用が明治かららしい
※昭和2年に個人酒蔵を店じまい。
ただしその後昭和20年まで別の合同酒会社で清酒やぬか漬け生産の可能性あり
お酒の名前
母の祖父でもある親族が醸造していた、または深く関わっていた当時のお酒の名前
松ノ井、尾浦の花、花房 初みどり 幸正宗
祖父一族は江戸時代から山形県鶴岡市の大山という町でそれぞれ清酒造りを営んでいました。上記のお酒は昭和初期に店じまいし今はもう販売していません。
上記のお酒ラベルの可能性もとても高と考えています。
戦時用軍用酒・ぬか漬け・みりんを別名で作っていたという資料もありそのラベルの可能性も微レ存です
親類の酒蔵のお酒の名前
冨士 清正 松菊 大山 加茂川 金の弦
血も家も近い同苗のご親族が大山で作っていた清酒の名前です。
このラベルの可能性も無きにしも非ずです。
うちいくつかは今も醸造されています。
大山町のご近所のお酒
出羽の雪 てん狗 旭桜 華紋竜鳳 六兵壺
磐清水 菊川 芳の山 沢の梅雨 早瀬川 鯉川
梅川 山の井 朝日山 磐井 舞鶴 竜門 加茂湊
同じ大山町で醸造されていた蔵元さんの戦前から昭和前期のお酒の名前です。
江戸時代から村じゅう酒蔵?だらけだったようで、清酒好きな方にはパラダイス?
酒田市のお酒
初孫 金九 上喜元 清泉川 亀樂 他。。
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そんなこんなで 当時酒票やレッテルと呼ばれたおラベルを探しつつ、
同じ歴史資料で大山で泣いて笑って過ごしたご先祖様の足跡たどりと大山酒史の調査を楽しんでいます。
どうか、上記のようなお酒ラベルの情報があれば、ご連絡くださいませ。
思い出のお花の絵でなくても、山形県の古いお酒のラベルというだけでも、当時を偲べて嬉しいので、画像など拝見させて頂きたいです。
乾杯